2008

川越ステージ

第2戦 三宅島ステージ

第3戦 ひたちなかステージ

第4戦 四日市ステージ

第5戦 西湖ステージ

JCRC

川越ステージ

第2戦 三宅島ステージ

第3戦 ひたちなかステージ

第4戦 四日市ステージ

第5戦 西湖ステージ

JCRC

ごあいさつ

 日刊スポーツ新聞社では、今年も国内最大級の市民サイクルロードレース「中野浩一V10メモリアル ツール・ド・ジャパン2009」を開催致します。1984年(昭59)に日本版「ツール・ド・フランス」を目指し、年間4戦の本格的ステージレースとして誕生しました。日本では数少ない公道を使用したロードレースが中心です。

 今年は昨年同様、日本サイクルレーシングクラブ協会(JCRC)との共催で、川越、三宅島、ひたちなか、四日市、西湖の全5ステージを開催します。カテゴリー別のS、A、B、C、D、E、F、O、G、Wクラスは、各ステージの完走ポイントを加算した年間総合ポイント表彰も実施します。

 川越ステージは1周1.5kmのフラットな短距離周回コースを使用して、ポイントレース形式でレースを行います。三宅島ステージはアップダウンの激しい過酷な阿古地区特設2.5kmコースでレースが行われます。ひたちなかステージは1周5kmの広大なサーキットを使用。ほぼフラットなコース設定ですが、太平洋の海風の影響を強く受けるため、スピードに加えてパワーも要求されます。四日市ステージは伊勢茶の茶畑を周回する1周9kmの公道でレースを開催。断続的なアップダウンが続き、強靭なスタミナが要求されます。そして最終戦の西湖ステージは、ほぼフラットな西湖周回10kmコースが舞台です。周回中は紅葉満開の西湖の景色を満喫しながら、最後のゴールでは激しいスプリント勝負が展開されます。それぞれ個性、特徴の異なる5ステージで開催するツール・ド・ジャパン2009。皆様のご参加を心からお待ちしております。

中野浩一 ◆中野浩一(なかの・こういち)氏プロフィール

1955年(昭30)11月4日、福岡県久留米市出身。

 高校時代は陸上部に所属。卒業後、競輪選手だった父に続いて自転車競技に転向。75年に日本競輪学校を卒業。35期生として久留米競輪場でデビュー、破竹の18連勝を達成。76年の第18回競輪祭で新人王に輝いた。

 80年には日本のプロスポーツ選手として初めて年間獲得賞金が1億円を突破。王貞治氏よりも先に年間1億円を稼ぐプロ選手となった。世界自転車選手権は76年から参戦(4位)、翌77年にプロスクラッチ種目で初優勝し、86年まで10連覇の偉業を達成した。88年に通算獲得賞金が10億円を突破。92年の高円宮杯(決勝2着)を最後に現役を引退した。生涯獲得賞金は13億2764万円。

 現役引退後は日刊スポーツ評論家として、競輪の解説を務める一方で、スポーツコメンテーター、タレント、日本自転車振興会特別顧問など幅広く活躍。「ケイリン」が正式種目に採用された00年シドニー五輪では、競技解説に加え、決勝レースで先導誘導員を務めた。06年春に競輪選手では初となる紫綬褒章を受賞した。

 また自転車競技の普及を念頭に、92年に日刊スポーツ新聞社主催「ツール・ド・ジャパン」のスーパーバイザーに就任。「中野浩一メモリアル ツール・ド・ジャパン」として国内最大級の市民サイクルロードレースに定着。中野氏自身、西湖ステージなど多くのステージに来場して、一般参加者と交流を深めてきた。大会名は昨年、「オレはまだ死んでないぞ」という中野氏の再三のアピールもあり、「中野浩一V10メモリアル ツール・ド・ジャパン」に変更された。

中野浩一 ◆中野浩一(なかの・こういち)氏プロフィール

1955年(昭30)11月4日、福岡県久留米市出身。

 高校時代は陸上部に所属。卒業後、競輪選手だった父に続いて自転車競技に転向。75年に日本競輪学校を卒業。35期生として久留米競輪場でデビュー、破竹の18連勝を達成。76年の第18回競輪祭で新人王に輝いた。

 80年には日本のプロスポーツ選手として初めて年間獲得賞金が1億円を突破。王貞治氏よりも先に年間1億円を稼ぐプロ選手となった。世界自転車選手権は76年から参戦(4位)、翌77年にプロスクラッチ種目で初優勝し、86年まで10連覇の偉業を達成した。88年に通算獲得賞金が10億円を突破。92年の高円宮杯(決勝2着)を最後に現役を引退した。生涯獲得賞金は13億2764万円。

 現役引退後は日刊スポーツ評論家として、競輪の解説を務める一方で、スポーツコメンテーター、タレント、日本自転車振興会特別顧問など幅広く活躍。「ケイリン」が正式種目に採用された00年シドニー五輪では、競技解説に加え、決勝レースで先導誘導員を務めた。06年春に競輪選手では初となる紫綬褒章を受賞した。

 また自転車競技の普及を念頭に、92年に日刊スポーツ新聞社主催「ツール・ド・ジャパン」のスーパーバイザーに就任。「中野浩一メモリアル ツール・ド・ジャパン」として国内最大級の市民サイクルロードレースに定着。中野氏自身、西湖ステージなど多くのステージに来場して、一般参加者と交流を深めてきた。大会名は昨年、「オレはまだ死んでないぞ」という中野氏の再三のアピールもあり、「中野浩一V10メモリアル ツール・ド・ジャパン」に変更された。

 
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